郷土の漢方の先生

東洋医学概念

2023年10月13日。写真は大分県由布市庄内町コナラの美林です。

スポーツ性筋肉障害と漢方

スポーツ性の筋肉障害には柴胡桂枝湯を使うことが多いです。
これを発表されたのは東洋医学会の評議員だった鹿児島の故小川幸男先生です。
表の太陽病と少陽病の合病である柴胡桂枝湯の方意を考えれば納得がいきます。しかしそれに気づくのはコロンブスの卵と同じく困難です。

夜尿症に葛根湯

その後、小川先生は夜尿症に葛根湯の適応を発表されています。葛根湯中の麻黄に覚醒作用があり爆睡による夜尿症を防ぐのだと考えられます。
麻黄を含む麻黄湯や葛根湯を受験勉強の時に居眠り防止で使うことが有ります。これも麻黄の覚醒作用の応用です。

夜尿症で爆睡が原因だとすれば、深い眠りは左脳派の特徴ですので四逆散などが本治なのかもしれません。

20代の頃、鹿児島の新屋敷近くの小川先生の診療所を訪れたことがあります。
先生の本棚に古方派の教科書と言われた漢方診療医典と漢方処方応用の実際が置かれていたのを覚えています。

郷土の先生

私の故郷は鹿児島です。スポーツ性筋肉障害と夜尿症の漢方治療を発表された故小川幸男先生も鹿児島です。

50年程前、小川先生は鹿児島漢方研究会を立ち上げられました。一緒に立ち上げられたのが東亜医学協会のメンバーであった鹿児島市伊敷町の故吉原浅吉先生です。医師の小川先生は医系、吉原先生は薬系の先生です。
この漢方研究会は全国に広がり、各地区漢方研究会が出来ていきました。

吉原先生と湯本求真先生、矢数道明先生

吉原先生は矢数道明先生と手紙での意見交換なども盛んにされていたそうです。
また四男さんを皮膚病が内攻し肺気腫で亡くされた時、湯本求真先生から「子供を亡くした悔いに今後漢方を勉強して、亡き子供の分まで社会に尽くすことが何よりの供養になる。私も出来る限り指導する。」湯本求真先生の手紙原文より。の言葉を頂き漢方の研究を続けられたそうです。

吉原先生と癌治療

その後、吉原先生の別の息子さんが癌になり市立病院に入院されたそうです。吉原先生は独自の治療法で息子さんの癌を治されたと聞いています。

その治療法に似た治療法をされる先生が東京にいらっしゃったそうです。
お2人は連絡を取り合ったと聞いています。しかし、お2人とも治療法を明かさなかったそうです。
独自の治療法は、伝承されないまま吉原先生は亡くなられました。

先生が亡くなられた後、先生の自宅を訪ねたことがあります。先生が執筆され、その当時ワープロの無かった時代のため自らガリ版で書かれた皮膚病の漢方療法と矢数道明先生の序文で始まる腹証奇覧6冊を奥様から先生の思い出として頂き感激したのを覚えています。
吉原先生は皮膚病に拘り、また吉益東洞の「万病腹に根ざす」を基に腹証奇覧を執筆されたのだと思います。

打撲後神経痛と漢方

江戸時代の日本漢方古方派の先駆者である吉益東洞が創案した処方に桂枝加苓朮附湯が有ります。
神経痛や関節痛、脳出血後の麻痺、関節リウマチ、腰痛、頭痛など幅広く用いられる処方です。

打撲後神経痛と浅田宗伯

江戸時代末期にフランスの公使が数年前からの背中や腰の痛みで苦しまれていたと言います。以前に外国で落馬し打撲してからの痛みです。日本に赴任後、痛みは激しさを増したそうです。
公使はその痛みを幕府に相談しました。幕府は浅田宗伯を派遣しています。

浅田宗伯は桂枝加苓朮附湯を投薬しました。フランス公使の腰の痛みは数日で非常に回復したそうです。
後にフランスより謝礼が送って来たと言います。

打撲や交通事故、ムチウチなどの初期は駆瘀血剤が適応します。特に田七人参と併用すると効果が高いです。

事故や打撲から時間が経ち、慢性化した痛みや神経痛には桂枝加苓朮附湯や桂枝加朮附湯が適応と成る事が多いです。
漢方は証に合わせ選薬することを考えれば、様々な処方が考えられます。
しかし私は過去40年間、打撲後神経痛に桂枝加苓朮附湯と桂枝加朮附湯以外の患者さんに当たったことはありません。ご老齢の場合は先の処方に防已黄耆湯を合方します。